子育てについて考える
子ども時代の記憶と子育て
父親は寡黙だった、小学校の通知票を見て、学校での私の振る舞いを聞いて心配はしていたと後で聞いたことがあるが、「・・・しろ」。「・・・しなかったら、こんなことになる」。という風に私に指示したことはなかった。
小学校四年生の頃、母が私に分数を教えようとしていた。多分それは、芳しい成果をあげていなかった。休日だったのか、父が私の部屋に来て私のうしろから「勉強は嫌いか?」と尋ねた。怒られることを覚悟して、「嫌いや」と答えた。「そうか」と言い残し、父は怒りもせずにいってくれた。
母も、私にはお手上げだったようだ。私の場合、自分からやる気にならないと、勉強しろと言ってもするような子どもではない・・・そのように諦めてくれていた。
とてもありがたかった、ここで勉強が嫌いな自分を否定されたら立つ瀬がなかった。そんな経験があるので、大人になっても、「勉強が嫌いな子がいる」ことを認めるのは自然なことだった。
小学校で楽しかったのは六年生の時だけだった。勝手に野球チームをつくって、空き地で遊んでいた。気の合う男子数名いて、中学校でもこのような生活が続くと思っていたのに、彼らは引越していなくなった。
中学校に進学すると
山手の小学校から来た生徒たちは、いままで会ったこともないタイプだった(校区が違うので当然!)。賢くて、勉強ができそれに惹かれた。なので、小学校ではまともにやったことがない勉強を、一からやってみることにした。テストというのが定期的にあったから、テストの点数から平均点を出すことも恒例になっていった。
同時に、このようなテストが延々三年生の学年末まで続くことを知った、そこまでテストで評価され続けるのか。中学校一年生にして、小学校との違いに戦慄した。なので、中学校一年生の夏休みの宿題は、人生で初めて真面目にやっていった。いくつかの宿題はやらなくてもよかったと後で聞いた。そんな時代だった。
ただし、塾に通わなかった。参考書や英語の辞書を買い、「中学時代」という雑誌を購読して目を通した。ちょっと大人になった気分を味わいたかったのだろう。萩原朔太郎の詩集を読んだり、ラジオ大阪の深夜番組を聴いたりして、自分の目にはいるモノだけではなくて、見たことがない世界にあこがれるようになった。
プラモデルを作って、塗装することにも没頭した。そのためにモデルアートだとか、航空ファンなんて雑誌を精読した。ここになって、ようやく自分が(その時点で)何に興味をもっているのか、教科別に展開される授業をどうこなしてゆくのかがわかったのだった。
もう一度仕切り直すこと
「環境を整えること」が父の口癖だった、こまかなことに介入したり、指示したりしなかった。勉強ができなかった小学校四年生のころに、怒られて、塾通いを強制されていたら、中学校時代の成長もなかったように思う。
21世紀の小中学生はインターネットにつながる端末をもって授業を受けている。GIGA スクールと言う時代だ。小学校五年から英語の授業がある。中学校三年で二次方程式の解の公式も習う。
こんな時代だけれど、どこかで、学校に行かなくなった子どもたちが、もう一度仕切り直すことができたらいいな。人は一人一人違うから、つまづき方も立ち直り方も違う。
学校に行かなくなった子どもたちにどう接したらいいのか?これは、子育ての最重要案件。子どもの現状を受け入れながら、これからの社会に参加できるようにどんな道を歩めばいいのか?私たちは、子どもたち・ご家族の思いを汲みながら、所属学校、塾とも連携しながら最善を尽くします。
最初の一歩を踏み出すなら
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