教員とは因果な職業
息子と娘が学校に行かなくなった経験を持つ元中学教諭の坂本則子さん(69)=京都府宇治市=が、自身の体験をつづった本を出版した。「『わが子が不登校』という問い 母として教師として」(新日本出版社)。出版は、今は独り立ちした2人が「背中を押してくれた」という。
《息子も娘も、「期待に応えるよい子」であった自分をかなぐり捨てて私にぶつかってきました。私も本気で受け止めようとしました。親と子のせめぎ合いを重ねて「よい子への期待感」で塗り固められていた私の外面が剝がれ落ち、ようやく心底から「何もなくってもいい。生きてくれているだけでありがたい」という気持ちが湧き上がってきたのです》
https://www.asahi.com/articles/AST9Z44YDT9ZPLZB008M.html
私は公立高校の教員でした、娘たちが中学・高校生のころは、生徒が満足する授業を提供し、放課後はテニスコートで汗を流す。博物館や水族館での実習を実施する。学会・研究会主催の行事に参加・運営する・・そんなことを限界までやっていました。
二人の娘は、家族を省みず自分の仕事に没頭する父親を受け入れがたかったと思います。職場を優先して自分たちを蔑ろにする・・。長女は家族のことを話す時にわたしのことを「ヒロセ先生」と呼んでいたといいます。
教師然とした親だったはずです。生徒に対してまともな教師であることと、自分の子に対してまともな親であることとは次元が違う・・そんなこともわかっていなかったのですから。高校生になった娘たちと言葉を交わした記憶がほとんどありません。
2020年新型コロナウィルスのパンデミックを受けて、勤務先への出勤が禁止されていた日々に、そんなことを思い出しました。幼い二人の娘が待っているのに、そこに行こうとしてゆけない夢を見て戦慄しました。
「家族会議」というLINEで、何の前触れもなく娘たちに、「幼い日々にあなた方の気持ちに寄り添えなくてごめんなさい・・」というメッセージを送りました。ほどなく既読がついて、返信が返ってきました。ここまで何年かかるねん・・このわからず屋とは書いていなかったです。
娘たちの中には、振り向かれなかった幼子がそのまま生きていて、無情だった父親の声を待っていてくれたように思いました。父親の子育ては、しっかり働く背中を見せればそれでいいという昭和的単純明快なものではなくて、心・情抜きには成り立たないもだといまは思えます。

フリースクールを開校して、不登校の子どもたちとご家族と苦楽をともにしています。以前に比べて、高校で授業しているときに、生徒たちに対して優しくなれているなと感じます
