ふるさとに帰ろうよ:その2

大学院進学後は瀬底島の臨海実験所、大学に近い宜野湾のアパートの二箇所で生活
 そもそも、クマノミの住むイソギンチャクがどこにどれだけあるのか?陸上からはわからない。実験所前のサンゴ礁をスノーケリングでくまなく泳ぎ回り、航空写真を拡大して耐水紙に描いた地形図に水中でその位置を記入していった。当時の航空写真は国土地理院発行で1枚数万円する高価な資料だった。いまは・・インターネットで閲覧・ダウンロードもできる。

Google Mapで見た現在の瀬底島とサンゴ礁

 幅400m・岸から沖まで50mの範囲には常時100個近いクマノミの住むイソギンチャクがあった。二週間に一度、そこを訪問して住んでいるクマノミの種、メス・オス・未成魚の別と体長を5mm刻みで記載していった。これを丸々二年間続けた。

 ほどなくすると、成魚は顔で個体識別できるようになった。イソギンチャクに住むクマノミという魚への先入観は、弱々しい・意気地なし等の悪い印象があった。しかし・・・卵を守っているメス・オスは私に噛み付いてきた。おでこに歯形が残るほどに。そして、体の模様・行動・顔つきから性格まで随分個体によって違うことがわかった。

3種のクマノミたちの素顔:ニコノスⅢ+28mm水中専用レンズで撮影

クマノミ:Amphiprion clarkiiのメス 調査範囲内で最大の個体で眼が大きい

ハマクマノミ:Amphiprion frenatusのメス この時点では産卵確認なし

ハナビラクマノミ:Amphiprion perideraionのメス(左)オス(中央)

サンゴ礁魚類の研究者として
 大学院修士課程は二年間しかない。イソギンチャクの地図作成にずいぶんな時間がかかったのでクマノミの調査開始は10月からだった。瀬底島にやってきた京都大学の先生からの助言は、「データはまる一年では完全ではない、二年目になにがあるかわからない」。そこで修士を終わってから半年、データをとるために研究生で残った。

 両親の嘆きやいかに!?大学入学前に浪人一年、大学院修士課程二年、研究生一年・・両親はいつになったら働くのか・・?一生フラフラして過ごすのか?とても心配していたと後から聞いた。


 予言はまたもや的中した、二年目の夏に大きな台風が襲来して、クマノミの住むイソギンチャクが流されたり、サンゴの瓦礫に埋もれたりした。イソギンチャクを失ったクマノミの成魚は、他のクマノミを追い出して、自分のイソギンチャクとした。これは学術上の大きな発見となった。クマノミはイソギンチャクから泳ぎ出ると、すぐ食べられてしまうと先行する研究者は考えていたからだ。

 しかし、貧乏生活は限界だった・・ほしい専門書も買えない。就職して収入を得るために大阪府立高校の採用試験を受けた。

私的な教訓

人生の先輩方の予言は当たる!そして、親は親であるだけで苦労する。自分が紆余曲折を繰り返していた時に親が、どれだけ心配だったか?それは、自分が親になって子どもたちが紆余曲折の時代にあったときの自分の感情から推しはかる他ない。気に掛かる、だけど何の手助けもできない・・・そんな日々だった。

そして、しんどい時代を乗り越えるときの底力は、子どもの時の楽しい思い出だった。親子で楽しく過ごした、あの日々が自分を支えてくれた。

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