施無畏(せむい):恐れることはない、安心して

子どもたちの本音に耳を傾けることがフリースクールの目標

それは、出会ってからしばらくして、フラットに話ができるようになってから。問いかけても大丈夫になってから。

それまでは、何を話題にする?私は理科(生物)の教員なので、道端を歩きながら目についた生き物たちの話をする。学校に行って、楽しく過ごしている生徒たちは、耳を傾けないかもしれない。しかし、学校にゆかない子どもたちはよく話を聞いてくれる。

まるで私のInstagramは、#自然愛好家・#写真大好きって感じになっているけれど、こんな類の話をしています。

https://www.instagram.com/hirose.yuji.osaka.japan

ご家族だったら?昨日の夕食の献立はどうだった、明日なにが食べたい・・なんてことかな。夜寝る時に着るパジャマは、半袖がいいのか、腹巻きしとく方が調子がいいとか?株やお金の話は、子どもたちには、しんどいかもしれない。

学校にゆかないことで、恐らく子どもたちは困っている。自分の本心がどこかもわからないくらいに。何をこまっているのか?問われて答えようもない。その子たちにどうして学校に行けないの?と尋ねることは、畏れ(おそれ)を抱かせることにつながる。施無畏(せむい)の心に反する。

大人にできることは、子どもたちの本心を聞ける間合いを知ること、そして、子どもたちの願いが叶う道を見つけてあげること。この人はわたしを傷つけたりしない・・・と安心してからでないと、子どもたちの本心は聞けない。

大人は子どもたちより情報を多くもっている、だけど、子どもたちには自分のことを自分で決める主権がある。一方的に大人が子どもを保護するのではない。彼ら・彼女らの主権を尊重してゆこう。