教育は単に個人の幸福追求の手段なのか?

大阪府で公立高校・私立高校の両方で勤務して思うこと

大阪府内の公立高校は過去に最大9校区に分割され、校区外の高校には出願できなかった。2025年現在、大阪府内の公立校高校進学に関しては学区のしばりがなくなった。

そして、私立高校の授業料無償化は、大阪府内で公立高校と私立高校間の垣根を取り除き、多数の公立高校が定員割れする事態が生じている。

保護者や生徒の「消費者」として学校を「選択」する自由を家庭の立地・経済状況から解放する方向に進むこと、これは個人の選択の自由の最大化という理念に合致する。

選択の自由の一方で「自己責任」の考え方が密やかに広がっている?

 教育の成果(学力、進路、就職など)は個人の努力や選択で決まると誰もが思っている。しかしここで、不登校になった生徒の立場で考えてみたい。私が不登校になったのは、努力が足りなかったためで、それは自己責任なのか?・・・このように考えたら絶望しかない、救いの余地もない。

34万人を超える不登校の子どもたちにも個人的な幸福を追求する権利がある、そして、これからの日本を支えてゆく社会の一員になる道を閉ざしてはいけない。現在の公教育は本当に高度に組織化されている。敬服に値するほどに、だからこそ脱落する危険もある。

高校教員とフリースクールの二足わらじで思ったこと

 日本の高い水準の教育は、私的な幸福追求のためだけではない、この国の将来を担う人材育成を目指している、これが本願ではないか。これが、不登校の子どもたち・ご家族と日々を共にしてきた率直な感想だ。

Weekend Academyはこんなに「自由」な競争社会における、駆け込み寺のような存在になりたいと願う。「不登校でも絶望しなくていい!」と伝えたい。

TBSが放映した「御上先生」には、面と向かっては言っていないメッセージが多くあった。教育に携わる人々も注目していた。夏を過ぎた秋にもういちど味わってみたい。