挫折を繰り返した青年が、本気になれる仕事
何をやってもうまくいかず長続きしない。自分しかできないことって何だろう
法律の道を志し、猛勉強の末、希望の大学に合格したが、燃え尽き症候群に陥った。勉強に身が入らず、大学3年を終えたあと休学。
個人やスタートアップが手掛ける「インディーゲーム」に夢中に、自分もゲームで稼ごうとプログラミングの本を読みあさり、1年かけてスマートフォン向けゲームを制作。しかし、期待した売り上げはわずか1万円だった。
興味を失っていた大学には戻らず、就職活動を始めたが、志望したゲーム会社30社には全て断られた。広告系のIT企業でプログラマーの職を得ても、思い描いた仕事とは違った。周りとの熱量やスキルの差を痛感し、2年で退職した。
どん底に突き落とされ、実家に半年引きこもった。
落ち込む気持ちを救ったのは田舎暮らしを疑似体験するゲームだった。ゲーム内に出てくるニワトリが懐いてくるのに、心が軽くなった。
農業ならできるかもしれない。茨城県の農業学校で1週間お試し体験に飛び込んだ。農作業を終えてたき火を囲んでいたとき、ふと涙がこぼれた。「東京ではあんなに息苦しかったのに。体験後に農業学校の職員として働くことにした。
もっと自然に近い場所に行けばワクワクする暮らしができるのではないかと考え、見つけたのが「地域おこし協力隊」だった。豊かな自然のイメージにひかれ、鹿児島県屋久島町を選んだ。
2020年、27歳で協力隊員として口永良部島に移住したが、島の見どころは2日で回りきった。コミュニティーの小ささに「大変なところに来た」と頭を抱えた。
フェリーは1日1往復で、生ものを島外に売り出すことは難しい。保存がきく方法で海の幸を広げられないか。思い立ったのは、当時の島にはなかった水産加工場だった。
クラウドファンディングで資金を集め、島の人の手も借りながら約2年かけて加工場を建設。ネット通販で伊勢エビや夜光貝などが販売できるようになった。
23年、同じく島に移住してきた晴香さんと結婚。翌年には娘の青ちゃん(1)が生まれた。協力隊の任期は25年3月に終えたが、その後も住み続けることを決めた。
日本経済新聞の記事を読み共感を覚えました。自分を待ってくれている人と出会うことで人は幸せになるのだと思いました。
