子どもの「学校離れ」が止まらない
学校にいる間は、守ってくれたり助けてくれたりする大人が存在します。その意味では、子どもが比較的安全に、そして安心して失敗できる空間だと言えます。守られた環境の中で、成功体験だけでなく、うまくいかない経験や、他者と分かり合えないという挫折も含めて体験できることには意味があります。
ただし、それが「苦しい思いをしてでも我慢しなければならない場所」や、「その苦しさが糧になる」という精神論になってしまってはいけません。学校は無理に適応する場所ではなく、「自分と他者とがどう関わるかを試行錯誤できる場」として使われていくことに意味があるのだと思います。
不登校の子どもにとって、学校に行かないという状態は問題行動というより、「自分を守るための選択」なのだということです。
子どもは、学校よりも家にいる方が安全だと感じているからこそ、その状態を選んでいるのです。
私が大切にしているのは、その子が学校に行くかどうかではなく、「この先、自分はどうしていきたいのか」を考えられる状態を取り戻していくことです。
子どもは本来、とても主体的な存在です。安心できる関係の中で、自分の状態を少しずつ言葉にできるようになると、その子なりに考え、動き出す力を発揮していきます。
長く続いてきた学校文化があります。先生方の多くは、「子どもに良いものを与えたい」という善意を持っています。
ただ、子どもは本来、自分でやってみたい、確かめたいという欲求を持った主体的な存在です。
そこに大人が「良かれ」と思って関わりすぎると、子どもが自分で考え、選択する余地が少なくなり、かえって「期待に応えられない自分はだめなのでは」と感じさせてしまうことがあります。特に真面目で一生懸命な関わりほど、結果として子どもを追い込んでしまうことがあります。
「学校は子どもを変える場所ではなく、子どもが自分で考え、試行錯誤できる場」としての視点の転換が、これからはより大切になってくると思います。
プレジデントオンラインに掲載されたスクールカウンセラーさんが書かれた記事より、共感を覚えて要約・転載します。
